2011年03月15日 16:51
3月11日に起こった、東北地方太平洋沖地震。
軽く被災はしましたが、普通に生きてますw
今日10:30頃、やっと我が家の光回線が4日ぶりに復活しました。
そこで今ブログ更新に当たっているわけですが、何から書いていいか分かりません。
とりあえず時間ごとに追ってみましょうか。
3月11日・・・
うちの学校は3月2日から授業が休みで、家に居ました。
昼食を食べた後、若干の仮眠をとって、暇だしワイドショーでもみようかと思って、2階にある自分の部屋から、テレビがある居間に降りてきました。
そん時は14:30ごろでしたかね
で、14:46頃、緊急地震速報がテレビ左下にでたのと同時に激しい揺れ。
祖母と家にいましたが、あまりに揺れが大きいもんで、急いで外に出ました。
ほんとに凄まじい揺れでした。町の震度計では震度6弱。
うちは半分がかなり古い木造、半分が9年ほど前に増設した木造の2つの家をくっつけてるような家。
古い方の建物は、壁が少なく、ほとんどの部屋が窓とふすま・引き戸で仕切られているため、柱だけで支えられているような感じなので、非常に大きく揺れました。
震度6弱くらいならいままで何度もあったので驚きませんが、5分間ぐらいも続いたもんですから、ほんとに倒壊するかと思いましたね;;
地震後は、家のいろんな所の立て付けが悪くなってますww
あと、被害があるとしたら家の中身がぐちゃぐちゃだってことぐらいでしょうか。
まだ家があるだけましですが。
この時、停電して、同時に光回線も繋がらなくなりました。
携帯電話回線、メールサーバーも混雑して友人とも連絡とれず。
3月12日・・・
電気もないし、インターネットも出来ない。
電話も出来なければ、メールも出来ない。
本当にやることが無かったので、ワンセグを見たり、ラジオ聞きながらしょんぼりしたり、体動かしたりしてました。
幸い、USB給電の予備バッテリーが、過去にいろいろあって大量に有り、合計で8000mAh程のバッテリーが満充電かそれに近い状態だったので、一応情報はテレビから取ってました。
それでも、停電は東北各地に広がっていて、いつ復旧するかも分からないので、見てたのは4時間程度ですかね
夕方になると、基地局の予備電源も切れたのか、携帯が完全に圏外になりました。
3月13日・・・
内陸は徐々に電気が復旧しつつあるというニュースは聞きましたが、それでもうちのあたりは電気が復旧するきざしもなく。
携帯が圏外なので、友人とはもちろん連絡がとれません。
うちの学校は、学生が岩手県内・宮城県北各地に散らばってるので、とても友人が心配なところですが、現状はこのとおり。
幸い、天気は暖かかったので、ずっと縁側で日向ぼっこしてました。
なんだかんだ言ってますが、午後6時半ごろには電気が付き、残すは携帯電話と光回線のみになりました。
3月14日・・・
朝起きるとなんと携帯電話が圏内になっていました。
これでやっと情報を送信する手段を得たわけです。
東山にいる友人から電話がかかってきて、お互い無事を確認しました。
その人によると、そのとき東山はまだ停電中でさらに断水中。
ちなみにその人は、気仙沼と陸前高田にいる友人に連絡を試みるものの、もちろんつながらず、安否は確認でき無かったようです。
平泉町内の友人とも連絡がとれましたが、どうやらその時まだ町内で停電している所もあったみたいでした。
電気がついたことで、テレビも普通に見られるようになったため、特にやることも無かったのでずっと見てましたが、とても悲惨でしたね。
自分は家族で沿岸に行くことが何度もありました。
観光や、海水浴に行ったり、釣りに行ったり。
大船渡や陸前高田、気仙沼や女川、石巻など、連日津波による大きな被害が報じられている地域にも何度も行ったことがあって、その時の記憶がはっきりと残っているだけに、テレビで映されている光景は本当に信じられません。
中継で何度も映されている陸前高田の広田湾周辺ですが、本当に賑やかな街でした。
海水浴に行くときは、いつも県立高田病院の横にある薬王堂によっていたのですが、そこも跡形も無く・・・。
大船渡で瓦礫に埋まった国道から顔を出していた歩道橋
波に飲み込まれている気仙沼港
壊滅状態の女川
非常にショックを受けました。
岩手県内のローカルニュースでは、津波に備えて訓練しているニュースを何度も見ていました。
まさか、あの宮古のスーパー堤防が軽々と超えられるとは思ってもいませんでした。
普代村の堤防は15メートルもあったためになんとか住宅への被害は免れたらしく、そのへんはなによりですが。
いままでしっかり対策してきたわけですから、今回の津波の被害は本当にしょうがないとしか言いようが無いです・・・。
3月15日・・・
午前中に光回線が復旧し、ライフラインなどはすべてひと通り復旧したのですが、今度はエネルギーの危機です。
親は車にガソリンがないため、出社できません。
今日はガソリンスタンドにいったようですが、1時間かけて10㍑程しかいれてこれなかったとか。
今のところ、さほど酷い被害がない内陸ですが、そのうち食料がなくなり、エネルギーも無くなって大変な状況になる事が予想されます。
エネルギーや食料などの物資は、被災地優先でしょうから・・・。
ちなみに震度7だった栗原のあたりに住む友人とも連絡がとれました。
ただ、未だ電気は通っていないのか、携帯の電池が無いらしく、「大丈夫」とだけ。
まとめ・・・
津波の被害もなく、家族も親戚もみんな無事なので、ほんとにテレビを見るたびに幸せだとつくづくおもいました。
今回の地震は閉寮後の地震で、地元に帰っている沿岸の友人の安否が本当に気になるところですが、おそらく元気であろうと思います。
ですが、家がなくなってる人は絶対いるでしょうから、本当に心が痛みます。
今回軽く被災してみてわかったのは、本当に情報の通信手段が無いということ。
停電中でもワンセグやラジオ等で情報の受信はできるものの、電波がない・電池がないなど携帯電話が使い物にならなかったり、インターネットはもちろん使えないので、情報を送信する手段が本当にないです。
そのため、安否の確認などは本当に困難を極めていると思います。
情報を発信する手段がないため、自分たちがいま必要としている物、自分たちの状況なども、テレビなどを通してしか伝えることが出来ません。
孤立していた方々はとても大変だったと思います。
少しでも早く、通信手段の復旧を望みます。
震災から4日以上が経ちました。
今回の震災で被害を受けた方々には心からお見舞い申し上げます。
亡くなられた方々には心からご冥福を申し上げます。
一人でも多くの人が助かり、少しでも早く復興することを祈っています。
以上長くなりましたが、地震についてでした。
うちの学校は3月2日から授業が休みで、家に居ました。
昼食を食べた後、若干の仮眠をとって、暇だしワイドショーでもみようかと思って、2階にある自分の部屋から、テレビがある居間に降りてきました。
そん時は14:30ごろでしたかね
で、14:46頃、緊急地震速報がテレビ左下にでたのと同時に激しい揺れ。
祖母と家にいましたが、あまりに揺れが大きいもんで、急いで外に出ました。
ほんとに凄まじい揺れでした。町の震度計では震度6弱。
うちは半分がかなり古い木造、半分が9年ほど前に増設した木造の2つの家をくっつけてるような家。
古い方の建物は、壁が少なく、ほとんどの部屋が窓とふすま・引き戸で仕切られているため、柱だけで支えられているような感じなので、非常に大きく揺れました。
震度6弱くらいならいままで何度もあったので驚きませんが、5分間ぐらいも続いたもんですから、ほんとに倒壊するかと思いましたね;;
地震後は、家のいろんな所の立て付けが悪くなってますww
あと、被害があるとしたら家の中身がぐちゃぐちゃだってことぐらいでしょうか。
まだ家があるだけましですが。
この時、停電して、同時に光回線も繋がらなくなりました。
携帯電話回線、メールサーバーも混雑して友人とも連絡とれず。
3月12日・・・
電気もないし、インターネットも出来ない。
電話も出来なければ、メールも出来ない。
本当にやることが無かったので、ワンセグを見たり、ラジオ聞きながらしょんぼりしたり、体動かしたりしてました。
幸い、USB給電の予備バッテリーが、過去にいろいろあって大量に有り、合計で8000mAh程のバッテリーが満充電かそれに近い状態だったので、一応情報はテレビから取ってました。
それでも、停電は東北各地に広がっていて、いつ復旧するかも分からないので、見てたのは4時間程度ですかね
夕方になると、基地局の予備電源も切れたのか、携帯が完全に圏外になりました。
3月13日・・・
内陸は徐々に電気が復旧しつつあるというニュースは聞きましたが、それでもうちのあたりは電気が復旧するきざしもなく。
携帯が圏外なので、友人とはもちろん連絡がとれません。
うちの学校は、学生が岩手県内・宮城県北各地に散らばってるので、とても友人が心配なところですが、現状はこのとおり。
幸い、天気は暖かかったので、ずっと縁側で日向ぼっこしてました。
なんだかんだ言ってますが、午後6時半ごろには電気が付き、残すは携帯電話と光回線のみになりました。
3月14日・・・
朝起きるとなんと携帯電話が圏内になっていました。
これでやっと情報を送信する手段を得たわけです。
東山にいる友人から電話がかかってきて、お互い無事を確認しました。
その人によると、そのとき東山はまだ停電中でさらに断水中。
ちなみにその人は、気仙沼と陸前高田にいる友人に連絡を試みるものの、もちろんつながらず、安否は確認でき無かったようです。
平泉町内の友人とも連絡がとれましたが、どうやらその時まだ町内で停電している所もあったみたいでした。
電気がついたことで、テレビも普通に見られるようになったため、特にやることも無かったのでずっと見てましたが、とても悲惨でしたね。
自分は家族で沿岸に行くことが何度もありました。
観光や、海水浴に行ったり、釣りに行ったり。
大船渡や陸前高田、気仙沼や女川、石巻など、連日津波による大きな被害が報じられている地域にも何度も行ったことがあって、その時の記憶がはっきりと残っているだけに、テレビで映されている光景は本当に信じられません。
中継で何度も映されている陸前高田の広田湾周辺ですが、本当に賑やかな街でした。
海水浴に行くときは、いつも県立高田病院の横にある薬王堂によっていたのですが、そこも跡形も無く・・・。
大船渡で瓦礫に埋まった国道から顔を出していた歩道橋
波に飲み込まれている気仙沼港
壊滅状態の女川
非常にショックを受けました。
岩手県内のローカルニュースでは、津波に備えて訓練しているニュースを何度も見ていました。
まさか、あの宮古のスーパー堤防が軽々と超えられるとは思ってもいませんでした。
普代村の堤防は15メートルもあったためになんとか住宅への被害は免れたらしく、そのへんはなによりですが。
いままでしっかり対策してきたわけですから、今回の津波の被害は本当にしょうがないとしか言いようが無いです・・・。
3月15日・・・
午前中に光回線が復旧し、ライフラインなどはすべてひと通り復旧したのですが、今度はエネルギーの危機です。
親は車にガソリンがないため、出社できません。
今日はガソリンスタンドにいったようですが、1時間かけて10㍑程しかいれてこれなかったとか。
今のところ、さほど酷い被害がない内陸ですが、そのうち食料がなくなり、エネルギーも無くなって大変な状況になる事が予想されます。
エネルギーや食料などの物資は、被災地優先でしょうから・・・。
ちなみに震度7だった栗原のあたりに住む友人とも連絡がとれました。
ただ、未だ電気は通っていないのか、携帯の電池が無いらしく、「大丈夫」とだけ。
まとめ・・・
津波の被害もなく、家族も親戚もみんな無事なので、ほんとにテレビを見るたびに幸せだとつくづくおもいました。
今回の地震は閉寮後の地震で、地元に帰っている沿岸の友人の安否が本当に気になるところですが、おそらく元気であろうと思います。
ですが、家がなくなってる人は絶対いるでしょうから、本当に心が痛みます。
今回軽く被災してみてわかったのは、本当に情報の通信手段が無いということ。
停電中でもワンセグやラジオ等で情報の受信はできるものの、電波がない・電池がないなど携帯電話が使い物にならなかったり、インターネットはもちろん使えないので、情報を送信する手段が本当にないです。
そのため、安否の確認などは本当に困難を極めていると思います。
情報を発信する手段がないため、自分たちがいま必要としている物、自分たちの状況なども、テレビなどを通してしか伝えることが出来ません。
孤立していた方々はとても大変だったと思います。
少しでも早く、通信手段の復旧を望みます。
震災から4日以上が経ちました。
今回の震災で被害を受けた方々には心からお見舞い申し上げます。
亡くなられた方々には心からご冥福を申し上げます。
一人でも多くの人が助かり、少しでも早く復興することを祈っています。
以上長くなりましたが、地震についてでした。
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